好き勝手書き散らかすブログ
No.1002
2010/09/02 (Thu) 02:55:43
思った以上に暗くなってしまったので続きに隠します。
閲覧は自己責任でお願いします。
能登から帰ってきて帰宅したのが19時過ぎだったもんで、お通夜には行けず。
今日、お葬式に行ってきました。
火葬場までついてったらバイト間に合うか分かんなかったから出棺を見送るまで。
久々の感覚だった。
拭っても拭っても、流れ落ちて。
人が死ぬ感覚を、しばらく忘れていたのかもしれない。
たくさん花を手向けて、たくさん泣いて帰ってきた。
お供えのお花を帰りに包んでもらって、うちのばーちゃん(じーちゃんも入ってる)のお墓参りに行ってきました。
今年お盆に行かなかったから…。うちから歩いて数分の、一番近いお墓なのにね。
そっちに逝ってしまったよ、と報告をしたくて。
お盆にお参りしてってくれた親戚のお花はもう枯れてしまっていて。
お花持ってきてくれてありがとう、て思いながらそれを片づけ、もらってきた花を長さを揃えながらさして。
もうちょっと一杯もらってくれば良かったかな、て思ったけど、おかんが火葬場から帰ってきて花を持ってきてて、同じこと考えていたようで。私の後に、お墓参りに行っていました。
見てはいないけど、綺麗にお墓に供えられていることでしょう。
涙を流してくれる人がいるって、ありがたいことだなって思う。
でも、悲しいことは好きじゃない。だから、本当は友人の中でも誰よりも早く逝きたいと思ってた。
だけど、私が逝くことで友人が悲しむのであれば、私は誰よりも長く生きたいと思った。
たとえ一番長く生きたとして、私を想って泣いてくれる人がいなくなったとしても、私がこの深い悲しみを与えるぐらいなら、私がその深い悲しみを与えられる方がいい。
生と死を分けた地にそれぞれ立たされたとき、故人の存在がどれだけ大きかったか知ることになる。
小さいころから経験してきたこと。ばーちゃんのときももちろんそうだった。
そして、後悔した。
だからか、わからないけれど。
どうしても人と別れるときって「一生の別れじゃあるまいし」と思うことができない。
もし明日、事故にあってしまったら?
そんなの誰にも分からない。だって、じーちゃんのときがそんな感じだった。
急に、お腹が痛いと言ってて病院に行ったら、「あーもうだめや」。医者がそんなこと言うか?普通。
その二日後、突然じーちゃんが逝ってしまった。
このちょうど2週間前に、お里のじーちゃんが亡くなってる。
お里のじーちゃんのときに泣きすぎて、うちのじーちゃんの葬式では、もう涙も枯れて出なかった。
あの頃は人間関係においても一番苦しかった。
そういうことも、ある。世の中には。もう7年前の話だけど。
まだ、涙は出る。
自分のためじゃなくて、人のために泣きたい。
でも、泣く機会が少ないことを心から祈ってる。
まだまだまだ、みんなで、一緒に生きよう?
みんなとずっと、一緒に生きたい。
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